1949年先妻アイノを亡くし、52年再婚したエリサと静かに暮らす為の夏の家は、ユヴァスキュラからボートでしかアプローチ出来ない奥地ムウラツサロに建てられました。アトリエが建つまでヘルシンキの自邸は、いわば建築家のショールームとしての役割も兼ね備え無ければならなかったでしょう。しかしこの「夏の家」は全くのプライベートな建物で有るが故に、アアルトはこの家で様々な実験を試みたのです。KOE・TALO「実験・住宅」と呼ばれている所以です。50分割した中庭の壁面には様々な素材が様々なテクスチャで用いられ、耐候性のテストも目的とされていたと言われています。内部空間は極めて質素な素材が使われており、空間の豊かさは材質の豊かさに依らないことを実証しています。宅地開発がこの敷地近辺にまで進み、陸路でも近くまでアプローチ出来るようになった頃、それでも薮を漕いでこっそりと覗きに行ったアアルトファンにとって、この夏の家ほどスリリングな建物は無かったのではないでしょうか、実は私もその一人だったのです。エリサの死後1994年からユヴァスキュラのアアルト美術館の管理となり、今日では予約をすれば見学できるようになりました。ダイナミックな中庭の空間と、慎ましやかな内部の空間の絶妙なコントラストを体験することが出来るでしょう。
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